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  • 執筆者の写真冨永ボンド

今年も一年ありがとうございました!

皆さん、こんにちは。

木工用ボンドで絵を描く画家、冨永ボンドです。



今年も アッ という間に年の瀬です。

皆さんの一年は、どんな一年だったでしょうか。


今年は、なんと言っても、平成から令和に元号が変わった、歴史的な一年でしたよね。5月1日のゴールデンウィークまっ只中でしたけど、何してましたか?僕はその時、福岡市西区にあるマリノアシティーのイベントに出店していて、ライブペイントやグッズの物販をしていたんですが、やっぱりなんかソワソワしてて


「次の元号なんなの?え?マジで平成終わるの?30年も共にした平成終わっちゃうの?」


みたいな感じで、マリノアに買い物に来てるお客さんもソワソワしてて。この時代の境目になんかやってみよう!!ってテンションになって、


とっさのアイデアでしたが、


「平成ありがとう、令和よろしく」の横断幕(幅5~6メートルくらいの)作って、寄せ書きしました。道行く人、みんなが「平成ありがとう」って書いてくれて、ジーンとしたのを強く覚えています。









さて、毎年恒例

今年のイベント出演実績です。


ライブペイント 40回

ボンドアート創作ワークショップ 25回

エキシビジョン 13回

テレビ出演 8回(コマーシャル含む)


でした。


詳細は、ヒストリーページに全て記録していますので

お時間のある方はご覧頂ければと思います。





昨年と比べて、ライブペイントおよびワークショップの出演回数が減少しています。反対に、エキシビジョンは回数が増えて来ています。これがどういったことを意味しているかというと「現場での露出を減らすことによって価値を高めることに成功している」ということです。皆さんのおかげで、年商は年々増加しています。相変わらず絶好調のボンドです。ありがとうございます。



今年は、冨永ボンド活動10周年でした。

10年間、アーティストとして活動出来たのは他でもない、いつもご支援ご声援をくださる皆様のおかげです。心より感謝申し上げます。



毎年この時期には、その1年を振り返るのですが、今年は令和最初の年だし、活動10周年ということで区切りが良いので、過去をもう少しだけ詳しく振り返ってみることにします。



僕は「10年を一つの区切り」として考えています。

まだ3つの10年しかありませんが、それぞれの時代に名前を付けてピカソ風に振り返ります。ストーリーを売る時代だしね。いや、別に俺の人生を切り売りしたいとは思ってないけど、そもそもアートとか美術ってそういうもんだよね。魂削って作ってるんだから。ということで行ってみよう。




<6歳~16歳 暗黒の時代>


いきなり重い!!!.......いや、暗黒というか、この頃は本当に色々あって、小学校ではいじめにあってたし、家庭環境も辛かったし、中学校でも特にこれと言って秀でた特技も無く、部活(バスケ部)も下手くそだし出来れば毎日行きたくなかったし、ただ友達とゲームしてて楽しい。そんな毎日でした。夢とかもちろん持ってなかった。でも、人と人の繋がりって何だろうってこの頃から人一倍考えてたような気がする。早くどこか違うところに行きたかった。自分と毛色の合う人に出会いたかった。とにかく色んなことが辛かった。死にたいって思ってたことも多々あった。あまり思い出したくない。でもこの10年があったからこそ、今の自分があるし、社会に貢献しようっていう作家活動が出来ているんだと思う。自分の子どもに同じ思いはさせたくないな。



<16歳~26歳 パソコンの時代>


パソコンやゲームに興味があった中学生時代。その後の進路を情報処理科のある高校に決めた。倍率が高かったけど何とかギリギリ入学出来て、プログラミングや情報処理の事を学びました(すぐ飽きたけど)。その頃からタイピングだけは得意で、今でも誰にも負けない自信がある。その後は、家具のデザインの専門学校へ。CADやグラフィックのソフトを学んだ後、佐賀県諸富にある家具メーカーに就職したが1年で退職。福岡にトンボ返りして印刷会社のオペレーターを5年くらいやって、またPCのオペレーションがものすごく早くなって。とにかく手は動く。その頃、ヒップホップっていう音楽と出会って、地元福岡のアーティストのCDジャケットやイベントのポスターをデザインし始めた。自分の居場所が出来たような気がした。作ったデザインとかをみんな気にいてくれて、色んな人に認められたような気がして、嬉しかった。mixiやmyspace、アメブロなど、流行ったサービスは一通りストイックにやってた。ウェブもある程度勉強しようって思ってやってみた。とにかく、パソコンと共にあった10年間。色んなバイトもした。数えると20職種くらい。全てが良い経験。そして、自分は飽きやすい性格なんだなと気付く。



<26歳~36歳 アートの時代>


26歳で初めて絵を描いた。最初の一枚から、ライブペイントで、画材はボンド。人と違うことをしないと画力で勝てないと思った。どうやったら作品が売れるのか、どうやったらイベントに呼んでギャラが貰えるのか、一生懸命考えた。結果、ネームバリューしかないという結論に辿り着き、有名な画家になるためのセルフプロデュースを頑張った。前の10年で培ったデザインやパソコンのスキルを活かした。32歳で、作業療法士の妻と結婚。アートセラピーやリハビリテーションと出会う。ここで前の前の10年が繋がってきた。アートには癒しの力がある。社会的弱者や苦しんでいる人たちをアートの力で救えるかもしれない。表現の幅が一気に広がり、誰にも負けないコンセプトと人に伝える言葉の力、そして掛け替えのない仲間たちにも出会うことが出来た。世界一影響力のある画家になって医療福祉の分野を支援するという夢も持つことが出来た。夢は一人で叶えることは出来ないということや、結果や評価よりもプロセスやストーリーが大事だということにも気付いた。まさか、自分が画家になるとは思っていなかったが、楽しいことを追求した結果、こうなった。画家という仕事は、今では掛け替えのない「生きがい」となっている。



<36歳~46歳 〇〇の時代>


これまでもそうだったように、10年後の姿を想像することなど出来ない。なぜなら、飽きっぽい性格だから(笑)でも、こうして振り返ると何一つ無駄など無かったと断言できる。だって、全部が繋がっているから。画を描くことは絶対に辞めない。でも画を描くことだけをすることも、おそらく無いだろう。毎日、楽しいことばかり出来て、僕は幸せ。これからまた、新しいことを初めてみようと思ってる。未だ公にしていない長期プロジェクトが2つ、挑戦したいことが2つ、短期で取り組まなくてはならないことが5つ。これらがどのように繋がっていくのか、先10年が楽しみで仕方ない。上の〇〇には何が入るんだろう....




少し長文になりましたが、簡潔に半生を振り返りました。




一番大きな出来事は生涯追い続けることが出来る「大きな夢」を見つけることが出来たこと。それから、これは僕自身の気付きなんですが、夢を持つことが大事だという理由を少し書いて、今年のブログの締めくくりにします。






「夢を持て」




夢のはじまりは、憧れ。


憧れとは、読んで字の如く、童の心。


純粋で、無邪気で、楽しい気持ち。


童は、誰かに憧れ、何かに憧れ、目指すこと。


それが、夢のはじまり。





夢がない、夢が持てないからといって


自分を卑下する必要はない。


子どものような純粋な気持ちで楽しめば、


誰にでも夢はきっと見つかるのだ。





悲しい時も、辛い時も、


苦しい時も、逃げ出したい時も、


夢を持つことを決して諦めない。


何歳になっても、死ぬまで諦めない。




夢を持ち、憧れるということは、


死ぬまで楽しく生きるということ。


だから、Thrive on dream.


夢は、生きがいなのである。




2019.12.17 冨永ボンド





たまーにですが「夢は持つな!夢なんか持たなくていい!」っていう人、お見掛けするのですが、そういう生き方も勿論否定はしません。僕は一生懸命なんだけど、その人たちは一所懸命なんです、良いじゃないですか。でも、そういう時僕は「夢を持った方がもっと楽しく生きられるのにな」って思っちゃいます。結果は出してるんだけど、楽しいのかな?って思っちゃう。どうせなら楽しい方がいいよね。違うかな。違うか、僕が子どもなだけか(笑)


でも、これだけは大声で言いたい。

何度も何度も繰り返し言いたい。



結果が全てではない。

評価が全てではない。


結果や評価より、

プロセスが大事だし、

ストーリーが大事。


夢が叶うことが大事なんじゃなくて、

「夢を持つこと」が大事なんです。




以上です♪



今年も一年間ありがとうございました。

来年は、凄いことになりそうな予感がしています......楽しみ!

皆様、良いお年をお迎えくださいませ。


No failure in Art.

冨永ボンド








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