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  • 執筆者の写真冨永ボンド

佐賀県多久市に対する想い


今夜は多久市のまちづくり協議会でした。多久市に対する想いを綴りましたので、みなさん是非ご一読ください。


「今年は協議会発足10年目の節目」


これを機に一度、まちなみ部会・エリアマネジメント部会・中核施設部会、左記3つの部会を一つに合併し、より強固な組織として生まれ変わらせる。今夜はそんな大事な協議会でした。


会員ひとりひとりの街に対する想いが強く議事は難航。


みんな一生懸命、多久市の活性化について話し合っています。こういった場で様々な意見が上がるのはとても良い事。しかし、今後少しずつ組織の地盤から作り直す必要があるなとも感じました。

まちづくりのプロという取りまとめ役のいない今、まず最初の課題は、部会間の情報共有や事務局との連携だろう。合併するのは良いが意味のない合併とならないよう部会長の権限や正副部会長会議の意味、連絡系統とその方法なども精査する必要がある。


そして、まちづくりを行うにあたって何よりも大事もの。それは、前述にある会員各々の街に対する熱い想いだ。


「会議をすることがまちづくりではない」


各々が熱い想いを持って、プロジェクトを確実に実行し「結果を出す」ことがまちづくりの本質である。


そのために、僕ができることはただ一つ。


多久市の中心市街地に点在するウォールアートを100箇所に増やして新たな多久市の観光資源とし、多久市を「日本一のウォールアートの街」にする。ただそれだけだ。


多久市に何もないとは、 もう誰にも言わせない。


5年後の多久市、10年後の多久市にどんな景色を観たいか、ひとりひとりが明確なビジョンを持って取り組むべき。単発的な打ち上げ花火ではなく継続的なプロジェクトを発案することにも積極的に力を注いでいくべきです。


余談になるが、僕が最近よく言われること。

「ボンドさん!多久市出身ですよね!頑張って!!」

.......違います。僕は福岡市出身です。


出身が同じ人を応援したい気持ちはわかる。地方にある典型的な地域性だ。しかしその返答を聞いた途端、あからさまに残念そうな顔をしなくてもいいじゃないですか.....(笑)

それでも負けずに僕は本気で多久市を日本一にしたいと思ってます。出身じゃない、故郷じゃない、この街を。


なぜなら、

この街に来てみんなの想いを知ったから。 頑張っている人たちと友達になったから。 この街で子どもがふたり産まれたから。

僕にとって多久市は、ただの移住先の人口1万9千人の小さな田舎町かもしれない。しかし、この街で産まれた僕の子どもたちにとってはこの街が故郷なんです。

子どもたちが大きくなった時、 みんなに自慢できる街にしたい。


だから僕はたとえお金が貰えなくても、 反対意見があって批判されても、 すべてがボランティアであったとしても、 多久市の活性化に全力を注ぐ。

ウォールアートをつくる。 ボンドバを良い店にして市外からたくさんの人に遊びに来てもらう。

移住した4年前から何も変わらない。 だって、それが僕の役割だから。

No failure in Art.

冨永ボンド



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