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  • 執筆者の写真冨永ボンド

2020年ありがとうございました!





こんにちは!

ボンドで描く画家、冨永ボンドです。



少し早いですが、2020年のまとめのブログです。

若干の長文となりますが、読んで頂けると嬉しいです。



さて、今年は何と言っても、コロナウイルスによる影響が凄まじかったですね。

地球上の全人類の生活様式が大きく変貌を遂げました。


歴史的な出来事、歴史的な一年です。


僕は、2020年2月にすべてのイベント出演がキャンセルとなり、

アトリエの飲食営業も3ヶ月間の営業停止に。売上に大きな打撃を受けました。

世間でも、娯楽や外食が制限され、自殺率は上がり、暗いニュースが増えましたね。



しかし、マイナスなことばかりでもありませんでした。



毎年恒例となった夏の冨永ボンド展は、オンラインでの開催に軌道修正。初めてのことばかりで知恵を絞りまくりましたが、結果、リアルの展示会を凌ぐ実績と学びを得ることができました。その後、通販の売り上げも順調に伸びています。改めまして、期間中に原画やグッズをご購入くださいました皆様、誠にありがとうございました。


また、ライブペイントというスタイルで作家活動を続けてきた僕は、コロナでイベントが開催されなくなった今、新たな作品制作プラットフォームを探す必要がありました。そこで、おうち時間で需要の伸びた「ライブコマース」に着目。You tube, Twitter, Facebook, Instagram, 17LIVE, 各媒体全てにおいて試験的に定期ライブ配信を行い、ライブコマースを利活用してどのようにマネタイズが出来るか熟考しました。


現在は、定期的にInstagramと17LIVEで配信を行い、

eコマースの収益と作家活動の広報に繋げる基盤を構築中です。




皆様のお仕事におかれましても、多くの分野において、ITを用いたビジネススタイルは大きく変貌を遂げ躍進し、新たな気付きと未来への準備が出来た、そんな一年だったのではないでしょうか。




そして、先日のブログにも書きましたが、

今年は、株式会社を起業した記念すべき年です。





2020年12月1日 株式会社ボンドグラフィックス 登記




少しだけ、ボンドグラフィックス発祥の昔話をします。



僕の視覚表現活動は、1枚のクラブイベントのフライヤーのデザインから始まりました。


忘れもしない。2003年大晦日、佐賀県武雄市にある老舗のクラブ「GET FUNK」。2003年から2004年に変わる、年越しのクラブパーティーのグラフィックデザインです。自分の作ったデザインが会場の入り口に並べて貼られてるの観て、めちゃくちゃ嬉しくて、自慢げに会場に入ったのを今でも鮮明に覚えています。2004年になった瞬間、一曲目にかかった曲は、K DUB SHINEさんでした。


それからはクラブに通い、カッコいいデザインのフライヤーを大量に収集し、デザインの仕事を貰ってきては、昼の仕事から帰ってきて徹夜でパソコンと向かい合い、フライヤーやCDジャケットなどのグラフィックデザインをただ只管作り続けました。



月に20~30個作品は作っていたと思います。

この頃は本当に、寝てなかった。楽しかったから。



コラージュデザインが得意だった僕は、コラージュ(糊付け)から取って付けた屋号「ボンドグラフィックス」を名乗り始めます。先輩たちに「ださい、ださい、ださい」と言われ続けやり直しの日々。たくさんのカッコいいデザインをサンプリングし、提出してはやり直しの日々。少しずつでしたが、デザインスキルが向上していくにつれ、徐々に徐々に、BOND GRAPHICSの名前が浸透。全国DJコミュニティー、SUPA GOOD DJs(現在のDJ CITY JAPAN)の専属デザイナーとして抜擢されるまでになりました。県外にもよく遊びに行ってた。楽しかった。何よりも、自分の制作物が認められることが。(僕が作ったグラフィックデザインの殆どには、Design by BOND GRAPHICSの表記が入っています)



デザイン会社を作りたくて、24歳の頃、会社を辞めてフリーランスに。



しかし、単価の低い案件を数多くこなし続けることは金銭的にも精神的にも不安定で、1年で会社にトンボ返り。これではだめだ、何とかして大きな案件、ビックアーティストのデザインを手掛けられるようにならなくては!と思うようになりました。大物に営業するための肩書きが地方のグラフィックデザイナーではダメだと気付いたのです。


そこで、


東京や大阪から福岡にゲストでやって来るビッグネームのミュージシャンと話すきっかけを得るため、一体どうしたら良いのか、考えた結果、デザイナーよりもアーティストの方が話して貰えやすいだろう、よし!


「イベントに出演しよう!」


と決意。しかし、DJもラップもダンスも出来ない。音楽にもそこまで詳しくない。現場ではただの酔っ払いピーポーの自分に何が出来るのか。悩みました。


この頃の僕が持っていたものと言えば、DTPスキルと、独自の色彩センス&コラージュの構成力のみ。絵は一度も描いたことが無かったし、デッサンとかやったことないし、画材のこととかわかんないし、そもそも絵が下手くそやし、うーどうしよう。よし!



「人と少し違ったことをしてみよう!」

「意外性のある画材で絵を描いてみよう!」

「ライブで絵を描いてみよう!」



やったことが無いことに対して不安はなく、とりあえずやってみてダメだったら辞めたらいいかくらいの"ノリ"で始めたのがライブペインター「冨永ボンド」です。



なぜ、ボンドだったのか。



それは、前述しておりますが、この時既にデザイナーとしての屋号がボンドグラフィックスだったから。名前のボンドを取り、ボンドで絵を描くことを決意したのです。


しかし、この決意から2年、ライブペイントをすることはありませんでした。


思い立っただけ。2年間を無駄しました。何をしてたんだろう。2年間。やったことが無いことに対して、ハードルが高いなって思ってたのは覚えてるけど、おそらくグラフィックデザインの案件に追われていたんだと思います。この時、有言実行即行動、仕事は追われるより追え、そんなことを心に刻みました。



そして、いよいよ初めてボンドで絵を描く日がやってきます。


「 2009年8月1日 @親不孝通club MARZ 」


600mm x 900mmの板をイーゼルに立て、会場外のロッカーとロッカーの間の狭いスペースでライブペイントをしました。めちゃくちゃ緊張して描いたのを覚えています。そしてめちゃくちゃ酔っぱらったのも覚えています。記念すべき処女作は、九州最強前説系アーティスト「星屑ロンリネス」のDJ 4to-keyさんが額装して大事に持ってくださっています。



アーティスト「冨永ボンド」をセルフプロデュースする

グラフィックデザイナー「ボンドグラフィックス」



この形が誕生した瞬間でした。




以上です。



少し長くなりましたが、これがボンドグラフィックスの生い立ちです。


愛着のある名前だし、いつか株式会社って言えたらいいなって、実は20代中盤から思っていました。ううう、、、感慨深いです。


ボンドグラフィックスならびに冨永ボンドにこれまで関わってくださった全ての皆様に、改めて心から深く感謝を申し上げます。今後とも末永く宜しくお願いいたします。




前のブログにも書きましたが、

株式会社ボンドグラフィックスは、


・冨永ボンドの作家活動 ・独自ECサイトの充実および楽天市場への出店 ・オリジナルグッズの定期新商品開発 ・グラフィックデザイン事業拡大 ・学校でのワークショップおよび講演事業 ・アトリエの飲食営業プレミアム化 ・メルカリでのアウトレット販売 ・独自の芸術療法と作業療法分野の研究活動 ・臨床美術を取り入れたデイサービス開設 ・過疎地域活性化補助事業 ・ライブ配信アプリ利活用によるマネタイズ



以上を、会社の主たる柱の事業として運営していきます。


取り急ぎ、楽天市場への出店手続きと、デイサービス開設の手続き(2年くらいかかる)を進めます。あとは、ライブコマースとeコマースをどのようにしてつなぐか(接着するか)少しずつ考えながら、現代の作家が絵で食べるための一つの事例を構築します。



来年も飛躍の一年で有りますように。

皆様におかれましても、実り多き一年で有りますよう祈念申し上げます。



それでは、皆様、良いお年をお迎えくださいませ。

来年もよろしくお願いいたします。



株式会社ボンドグラフィックス

代表取締役 社長 冨永 久司


No failure in Art.

冨永ボンド




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