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  • 執筆者の写真冨永ボンド

「アートは、よくわからない」





「アートは、よくわからない」 そんなお声を多く頂きますが、そもそも、 アートとは「わかる」必要のないものです。


「好き」か「嫌い」


この2択だけで楽しむことができます。 洋服や映画、音楽や食事と一緒。 アートだけ難しいことはないのです。

まずは、見た目から。

好きなら、詳しく調べればいい。 好きなら、作家に会いに行けばいい。 好きなら、作品を買うのもいい。

アートをわかろうとなんてしなくて良いです。 だって、わかろうとしても、 わからないものが多いんだから。

でもごく稀に、すーっと入ってきて、 自然と納得できるような作品があります。 ぜひ探してみてください。





続)


「わかる必要がない」の意味は、わかろうとしてもわからないものが多いということでもあります。美術は特に歴史的背景や文脈に基づいて説明されたりすることが多いから専門家でも難しかったりするわけで。シンプルに見た目だったり作品を前にして何か感じるものがあればそれだけでいいと思うのです。


例えば、有名シェフがつくる美味しい料理を食べたとして、その料理に使われた食材のひとつひとつの詳細や調理方法なんかを調べてその料理を理解しようとする人ってごく僅か。食通あるいは調理の専門家だと思うんです。ではなぜアートだけ生活から離れ特異的なものだと認識されているのか。


では、音楽はどうだろうか。音楽はなくても人は死なない。音楽が趣味の対象として優先的に受け入れられる理由。音楽にあってアートに無いもの。それは、模倣の容易性と時間の奥行き。気軽に口ずさむ。カラオケで歌う。家でも街でも音楽は流れ受け手は意識しなくてもそれを強制的に受動する日常がある。




アートは人の生活を豊かにする可能性を秘めている。臨床美術の分野では認知症の治療や予防に効果的だというデータがある。


「評価されるためにつくるのがアートではなく、つくるためにあるのがアート」


それが絵画や造形物を通して人が太古より表現し続けてきた理由「本来の役割」であると信じたい。


アートをより生活に近いものとするために。ファッション性を高める、つくる機会を与え作家を増やす、誰にも伝わりやすい作品を発表する、全く違う他の分野と交わるなど、沢山ある。これらをするかしないか。しないなら日本はこれからもずっとアートと精神医療の分野で世界に遅れを取り続けるだろう。



No failure in Art.

冨永ボンド



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